第一尚氏の墓
はいさい ぐす〜よ ちゅうがなびら
ムーチーって皆さんしってますよね。
旧暦の12月8日は、「ムーチー」と言って沖縄では餅(ムーチー):月桃の葉に包んで蒸した餅を作って食べ、厄払いする日です。またこの時期が1年中で最も寒さが厳しい時期になり、この頃の寒さのことを「ムーチービーサ」と呼び季節を表す言葉ともなってます。
さて、今回はし〜ぶんで琉球の歴史に触れたいと思います。 その中でも、第一尚氏歴代の王の墓について、はなしをしたいと思います。
第一尚氏の国王7人のうち、墓所が明確なのは次の5人となります。
(初代)尚思紹/南城市佐敷の自衛隊の敷地内
(第二代)尚巴志(第三代)尚忠(第四代)尚思達/読谷村伊良皆の米軍基地内
(第六代)尚泰久/南城市玉城
の5人は場所が特定されております。
しかし、残り二人の墓所が不明(第五代)尚金福と(第七代)尚徳なんです。
⚫️王統が第二尚氏に移った後、第一尚氏の王族は首里を追われました。第一尚氏の墓所は、首里周辺にありましたが、第二尚氏(金丸)に墓を破壊されたり、遺骨を奪われたりすることを恐れ、第一尚氏の王族や家来が、遺骨を他所に移していったのです。
尚金福と尚徳の墓は、(幸いにも)誰にもしられない場所に移されたか、(不幸にも)破壊されたかのいずれかなのでしょう。もし、見つかることがあれば紹介をして行きたいと思います。
クーデターにより、第二尚氏の始祖となった金丸(尚円)は、琉球王国の王となり権力を手中に納めましたが、なぜ?第一尚氏の王の墓を丁重に扱っわなかったのか?
金丸は、第一尚氏の痕跡が残ることを嫌ったと言われてますが当時の世の中の動きを知る事で、なぞが紐解かれていければと思います。(;^_^A
このブログでも、偉人を尋ね第一尚氏の墓碑をたずねて紹介してきましたが、二人の王(第五代尚金福と第七代尚徳)の墓には調べても、調べても辿り着く事ができないでいます。
もし、どなたか?情報をお持ちの方がいれば教えて頂けると嬉しいです。
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