ヒューの独り言

沖縄大好き!!ウルヴァリン。。。 歴史や時事ネタ、地域の情報を発信していきます。よろしくお願いします。

琉球八社歴史探索

沖縄の大社 末吉宮

はいさい ぐす〜よ ちゅうぅがなびら

沖縄には面白い検定があります。(笑)もちろん沖縄検定もそうなんですが、沖縄市ではエイサー検定を開催してます。もし、興味のあるかたは受けて見て下さい。

さて、今回は琉球八社の一つを訪ねてきました。訪ねたと言うより、初詣に行ったんですけどね。(笑)

⚫️末吉宮(すえよしぐう)
住所:沖縄県那覇市首里末吉町1-8
沖縄県那覇市首里末吉町の末吉公園内にある神社で琉球八社のひとつ。
旧社格は無格社。

祭神
主祭神として以下の熊野権現を祀っており
伊弉冉尊 (いざなみのみこと)
速玉男尊 (はやたまをのみこと)
事解男尊 (こよさかをのみこと)
また、別鎮斎として以下の神を祀っています。
土祖神 (つちみおやかみ)
澳津彦命 (おくつひこのみこと)
澳津姫命 (おくつひめのみこと)
産土神 (うぶすなのかみ)

由緒
1713年、和暦では正徳3年に成立した
『琉球国由来記 巻11 密門諸寺縁起』の〔大慶山万寿寺〕の段にある「大慶山権現縁起」では、当社の開基を景泰年間1450年 - 1457年としている。

⚫️俗に「社檀」と称し、「冊封使録」には末吉一帯の丘陵を「亀山」と呼称した。
「大慶山権現」「末吉権現」「末吉神社」等の記録も見られる。
社は尚泰久王時代(一四五四~六〇)に首里の天界寺僧鶴翁が大和での修業中、熊野権現を崇信、学問成就せばさらに参詣することを誓った。帰国後参詣を願い出ても国王が許さなかった。あるとき、夢に熊野権現が現れ、これより北方の山に大声で呼び、応ずるところがあれば霊験ありという。果して前山に応ずる声があったが、そこは険阻で人跡のおよぶところではない。登る途中一鬼面出現したので、鶴翁叩首九拝する。その旨を国王に言上すると同様の霊夢があったという。そこで神社をその地に創建、鶴翁が見つけた古鏡を宮内に蔵した。本殿は三間社流造り本瓦茸で磴道も含め昭和十一年国宝に指定されたが、沖縄戦により破壊された。
現在の社殿は末吉公園内にあるため車の便は悪いが緑の多い森林に囲まれた景勝地である。

『琉球神道記 巻第5』の「末好権現事」にも、ほぼ同様の内容が記載されている。

琉球八社とされた。官社へは王府から神職の役俸並びに営繕費が支給された。当社へは神職として祝部・内侍・宮童が置かれ、また祝部・内侍が神楽の際に着用する服装は全て王府の寺社座から支給を受けた。
明治時代に入り、 琉球処分により琉球王国が廃され沖縄県が置かれると、近代社格制度により無格社とされた。

さらに『琉球宗教史の研究』によれば、当時地元の民衆と信仰的に直接結合していたのは御嶽拝所であり、無格社となり日本政府の経済的保障がなかった当社は、その後経済的にも信仰的にも見るに耐えない無残な状態を呈することとなり、昭和14年(1939年)の沖縄県振興事業による復興計画に取り上げられた時には、拝殿は失せ、沖宮とともに昭和11年(1936年)国宝の指定を受けていた三間社流造の本殿も、屋根瓦はほとんど落ち、三方垂木のうちニ方が失せ、全体的に腐朽荒廃してる状況であった。

しかし、この本殿も激しい沖縄戦の中で砲撃を受け、建物の礎石、柱2本と虹梁を残し爆散してしまった。
現在見ることが出来る社殿は、残った礎石と資材を基に昭和47年(1972年)復元したものである。





因みに、今回参拝した時におみくじを引いたんですが(笑)小吉でした。


待ち人 こず
探し物 出てこないでしょう

等 … 今年は どんな一年になるのか
できる限り、がんばっていきまーす。


次回は、金宮にでも参拝してきまーす。あっその前に普天間宮の鍾乳洞も行きたいかも。




同じカテゴリー(琉球八社)の記事
沖縄の大社
沖縄の大社(2013-11-26 22:29)

沖縄の大社
沖縄の大社(2013-11-25 10:12)

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。
TI-DA
てぃーだブログ
< 2024年11月 >
S M T W T F S
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
QRコード
QRCODE
アクセスカウンタ
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 1人
プロフィール
かいりおん